ヨーロッパ資本主義の危機

ユーロ危機は引き延ばされた断末魔に似ている。“決定的な”頂点が次々と訪れ、いずれもがユーロ危機の決定的な終焉を布告している。市場は数時間や数日で持ち直しては、再び下落する。ヨーロッパの株価指数は 末期患者の病状の推移をたどる体温計のようだ。

[注:この記事は On a Knife's Edge: Perspectives for the world economyA Socialist Alternative to the European Union およびThe Crisis: Make the bosses pay! - Manifesto of the International Marxist Tendencyと併読してください。]

市場でのこの混乱は極度の神経質が特徴であるブルジョワジーの精神状態を的確に反映している。これは同様に、現在の危機が前例のない規模であるという事実の反映でもある。ブルジョワジーは海図に乗っていない海を地図もコンパスもなしに漂流しているのだ。

ユーロの未来

私たちは、資本主義のもとでの成長の障害が生産手段の私的所有と国民国家である、という事実を決して見失ってはいけない。

EUの設立は共同市場の創設でもって国民国家の制限を超えるというヨーロッパ(主にフランスとドイツ)のブルジョワジーによる試みであり、より大きな連合を率いると考えられていた。共通通貨の導入はこの指導において重要な一歩になるだろうと予想されていた。

しかしながら、以前に説明したように、資本主義的な基盤の上では、ドイツとギリシアのようにあまりにも異なる経済に一様に適応することのできるような強力な通貨に関する協定を作るという試みは失敗するに違いないのだ。ブームが続く間は機能できていたのだが、不況が始まったことによって国家の矛盾と対立が明るみに出た。EUへの道のりは限界に達し、後退している。ユーロ(とEUそのものすらも)が麻痺していっている。

ユーロはヨーロッパ資本主義の危機の原因ではないが、問題を大いに悪化させた。特にギリシア経済やイタリア経済のようなより脆弱な経済が持つ問題である。以前、ギリシアとイタリアのブルジョワジーは、通貨を切り下げることによって部分的に問題を解決することができていた。今やこの選択肢は彼らにとっては禁じ手だ。唯一の代案は、現在“労働賃金の切り下げ”と呼ばれているものだ。通貨切り下げを通して競争力を得ることができないので、その代わりに公共・民間部門の給与を下げなければならない。このことは永久的な緊縮財政体制と生活水準への攻撃となる。

今やヨーロッパの支配者たちが何をしようが、間違いとなるだろう。ユーロを補強しようとし続けるなら、EUの金融資源にとって堪え難い重荷となるだろう。それは何年もの、何十年もの歳出の抑制、緊縮財政、そして生活水準の崩壊を意味している。階級闘争にとっての完成されたレシピである。しかしユーロが崩落すれば、(ユーロ圏のみならず)ヨーロッパ全体をより一層大きな危機に陥れる経済的な大災害となるだろう。

このジレンマは異なる国々のブルジョワジー間、特にフランスとドイツでの分裂と緊張を生じさせる。フランソワ・オランドは大統領選挙および議会選挙で圧勝した。少なくとも選挙キャンペーンで約束した改革のいくつかを実行しなければならないというプレッシャーを感じているだろう。だが、来年に財政赤字を3%削減するということも約束した。これらの二つの目標は互いに相容れないものである。

一方で、アンゲラ・メルケルは緊縮財政と歳出の抑制の完全な実施を迫っている。ドイツのブルジョワジーは規律とバランスの取れた予算を要求している。オランドは成長を求め、メルケルは歳出の抑制を求めている。より正確に言うと、フランスの支配者階級がドイツの支配者階級が他のヨーロッパ諸国の経済を刺激するために資金を投入することを望んでいる一方で、ドイツの支配者階級は他の国の資本主義者が彼らの労働者たちに危機を弁済させることを望んでいるのである。どうやってこの双方が合意できるというのだろうか? それゆえに、ヨーロッパの心臓には口を開いた裂け目があるのだ。

指導者階級の悲観主義は、「ガーディアン」紙の経済部編集委員ラリー・エリオットのG−20サミットでの言葉によって表された。

       「G−20が世界規模の回復やユーロ圏危機が早々に収束するという青写真を準備していると想像するのは世間知らずだろう。中央銀行はギリシアの選挙の結果に対処するために高いレベルで警戒している。なぜか?この瞬間にも世界経済は不景気にある国々、今にも不景気に陥りそうな国々、あるいはあっという間に推進力を失っていく国々に分裂してしまうかもしれないからだ。今の所は、いい結果はない。悪い結果か、非常に悪い結果だけだ。」(「ガーディアン」紙、2012年6月17日付)

債務問題

この危機の最も鮮明な表現は国債だ。しかしながら、それは危機の原因ではなく、資本主義という病気の症状の一つに過ぎない。国債、そしてとりわけ赤字予算は銀行の救済処置と不景気そのものの結果として著しく増加してきた(たとえば、税収が減る一方で、失業者給付金においての社会支出は増える)。

全ての資本主義のブームには投機的要素があるが、それは危機の始まりをもってしか明らかにならない。この危機との唯一の違いは、まったく莫大な規模の投機だということである。ここ30年間、ブルジョワジーは空前の信用拡大による不景気を避けようとした。特にアメリカ合衆国のブルジョワジーは、信用の拡大と低い税率に基づいた投機に過度に熱中した。このことはアラン・グリーンスパンと連邦準備制度によって積極的に促進されたのである。

マルクスは、資本主義のもとで信用はその通常の限界の向こう側にいくことを可能とする手助けをすると説明した。過剰生産という危機は消費者信用を人工的に拡大することでしばらくの間遅らせることが可能である。銀行は過去には絶対にふさわしいと考えられなかったような人々に信用を広げることで、積極的にこの過度の熱中に関与した。これはアメリカ合衆国や他の国々での不動産バブルの基礎となった。

同じ現象がヨーロッパ、特にアイルランド、アイスランド、そしてスペインで起こった。しかし全ての国で、銀行は途方もない詐欺も同然に、積極的かつ熱狂的に関与した。上昇螺旋が続いていた頃は、全員が満足していた。信用は簡単で、大きな利益を出した。しかし結局のところ限界に達し、病的な構造は倒壊を始めた。

その結果が2008年の金融危機である。莫大な量の国の資金を注入することで銀行制度を救おうとする試みは、最近国の負債が大幅に増加していることを説明する主要な要素の一つであり、今は労働者階級がその支払いをするようにと求められているのだ。世界経済を押し上げるはずだった要因の全てが、今や一つとなって世界経済をコントロール不能な下降スパイラルに陥れている。ブルジョワジーは今、過去の超過分という結果に直面している。その結果とは、積み重なった負債の山である。公的債務、民間債務、そして同業組合の債務。誰が払うのか?それが問題だ。これは1789年にフランスで考えられたのと同じ質問であり、それならば、答えは革命的な含蓄を持つだろう。

マルクスは、危機が勃発すると信用は枯渇し、生産的な投資は止まり、工場は閉まり、そして労働者達は解雇されると説明した。ブルジョワジーは今や全ての負債が支払われるように求めている。金貸しは無慈悲だ。もはや約束手形は受け付けられない。金は現金でくれ!ということだ。これは容赦ない申し立てであり、企業や個人へするように、国や政府にも適応される。

ドイツとユーロ

ドイツの再統一はかつての野望に新しい命を与えた。理論上はフランスとドイツは平等な共同出資者だとしても、命令するのはドイツだということを全員が知っている。ドイツのブルジョワジーは強力な産業を基盤とした強固な経済をその手に持っている。ドイツ連邦銀行がヨーロッパの手綱を操っているのだ。

ブームの間は、ヨーロッパにおける生活水準は一般的に上昇したが、それはとても不公平なプロセスだった。ブームの絶頂期においてさえも、ブルジョワジーは生産性を向上させるために、労働者達により長時間、より熱心に働くようにと情け容赦ない圧力をかけた。臨時雇用への切り替えという避け難いプロセスがあり、契約による正規雇用が、より低い給与とより劣った条件での非正規雇用に取って代わった。残業、家族全員の雇用、消費材価格の下落のせいで労働者達はよくなったように感じたが、それは部分的には安い中国製品のもたらした結果であり、とりわけ手放しの信用拡大のせいであった。

ドイツは重度に工業製品の輸出に依存しており、資本家たちは余剰分の最後の一滴まで絞るために、無慈悲にに労働者達を搾取した。2008年以前の10年間は、労働コストの単価はイタリアで約30%、スペインで35%、ギリシアで42%増加したが、ドイツでは7%のみであった。ドイツの実質給与は減少し、生産性は上昇し、輸出は急増した。しかし、誰かがドイツが輸出するものを輸入しなければならなかった。

ユーロの創設はそれゆえにドイツの資本家たちに恩恵を与えていた。輸出製品に対して大きな市場を提供し(60%はEU諸国に向かう)、賃金の引き下げと最新型の機械設備の導入という組み合わせによって非常に競争力のあるものとなった。輸出のために市場を拡大するために、ドイツは他の国々が貸し付けを受け入れ、需要を拡大させるように圧力をかけた。ギリシアや他の国々に貸した金はドイツの富を買うために利用され、大規模なものとなった。

今やドイツのブルジョワジーは騙されたと嘆いている。ギリシア人がユーロ圏に入ることができるように勘定をでっち上げたと不平を漏らしている。本当にもっともらしく見える。だが、ドイツのブルジョワジーは簡単な算数を知らないのだろうか?数が数えられないのだろうか?もしくは、答えが否定的なものだとすれば、有能な会計係を用意していないのだろうか?勿論、している。だが2001年には、収入がほとんどない、もしくは皆無の家族への貸し付けを裏書きしたアメリカ、スペイン、アイルランドの銀行以外は数値を詳細に調査するということに関心を抱いていなかった。

ドイツが輸出国かつ債権者であるとすれば、他のヨーロッパ諸国は輸入国かつ債務者であるはずだ。債務者と債権者というこの関係は、経済がブームにある間はとても具合が良かった。しかし、2008年の危機は残酷にも現状を明らかにした。決算という瞬間がやってきた。しかし請求書が出されたとき、支払いのための金がなかったのだ。

一番弱いリンク

全てのチェーンは一番弱いリンクのせいで壊れる。ヨーロッパ資本主義という鎖においては、ギリシアがそうである。ヨーロッパの患者である。しかしこの特別な病院には沢山の患者がいる。ギリシア、アイルランド、ポルトガルのように集中治療を受けている患者もいれば、スペインやイタリアのようにほとんど同じ健康状態の患者もいる。フランスとベルギーはさほど遅れてはいない。その他の国々は待合室にいる。だが、最後には全員が病気になるだろう。

ドイツやフィンランド、オーストリアのような国々がヨーロッパ全体の病気から助かることができるという考えは誤りである。もはやヨーロッパには国内市場は残されていない。ヨーロッパは高度の経済的同化を伴う唯一の市場として形作られたのだ。一人の運命は全員の運命に深刻な影響を及ぼす。それはギリシアのような末っ子にも当てはまる。

メキシコでのG−20サミットが、ギリシア問題、特にギリシアの選挙の結果に取り憑かれているようであったということは逆説的に見えるかもしれない。しかし、その後起こったことはさらに逆説的である。ブルジョワジー(特にアメリカ合衆国の)は、急進左派連合(SYRIZA)の勝利がギリシアのユーロ圏からの即時の脱却を意味し、ユーロの未来に危険を及ぼす状況の連鎖を招き、世界規模の深刻な不況を引き起こすのではないかと心配していたのだ。

この心配がサマラスと新民主主義党の僅差での勝利によって防がれたとき、ブルジョワジーは安堵の溜め息をついた。EU(つまり、アンゲラ・メルケル)が命綱をサマラスに投げてよこしたり、少なくとも苦しんでいるギリシア国民を救済するという約束に彼が解釈できるような何らかの合図を送るということが期待されていたかもしれない。その代わりに、ドイツの首相はアテネに冷酷な顔を向け、何らかの再交渉をすることは論外だと警告したのだ。

本来メルケルはギリシアが負債を払うのを“手伝う”ことに合意していた。それは気前がいいというのではなく、これらの負債のほとんどがドイツとフランスの銀行から借りたものであったからだ。“援助”はギシリアを深刻な不景気に陥れ、極貧状態にまで追い込んだ断固とした歳出の抑制条項を条件として行われた。このことは問題を解決するには程遠く、状況をさらに悪化させた。それでもメルケルは緊縮財政と“規律”を要求し続けている。

現実には、ドイツの支配者階級はジレンマにある。彼らはヨーロッパの負債を引き受けることを望んでおらず、ギリシアを厄介払いすることを嬉しがるだろう。その一方で、ギリシアがユーロ圏から出ていくという避け難い結果になるであろうヨーロッパの銀行危機の成り行きを恐れているのだ。このジレンマは断固とした行動が求められるときには、意志の麻痺と継続的な動揺につながる。EUの支配者たちは至る所で炎が上っているときに竪琴を弾いていたネロ帝に似ている。

スペイン

炎は今やヨーロッパ経済危機という台風の目の中にいるスペインに届いた。ギリシア、アイルランド、そしてポルトガルは文字通りEUの周辺諸国なのである。しかしスペインはこれら3つの国全てよりも大きい。そしてイタリアはEUそのものの核となっている国々の一つである。それゆえにこれらの国での経済の崩壊はユーロッパ全体に取って最も深刻な結果となるであろう。

14年間(1994年〜2008年)、スペインは不景気を免れてきた。ヨーロッパの中で最も高い成長率を打ち出した国の一つであり、EUの中でも最もさらなる雇用を生み出していた。ブームが永遠に続くかとすら思われた。しかしブームは、銀行やとりわけ貯蓄銀行からの安価で手軽な信用を供給することで、投機的な住宅バブルによっておもに推進された。

ブームの終焉はあらゆる矛盾をもたらした。スペインの住宅市場は崩壊した。住宅価格は暴落し、何千もの空き物件がある中で多くの家族が家をなくした。その結果、建築業は危機に陥り、多くの建築作業員が職を失い、失業者の数は膨れ上がった。

現在の失業者は公式には25%であり、EUの中では最も高い。スペインの若者の半数以上に仕事がないのである。失業者の増加は需要と税収における大きな失敗を意味する。さらなる歳出の抑制は、私たちがギリシアで見てきたように問題を深刻化させるだけだろう。

2007年以前は、スペインは主に黒字予算で、負債を支払っていた。今、赤字はGDPの9%に等しく、この数値は来年には3%削減されると考えられている。

スペインは4年の間、不景気にあった。すぐに失業者手当は期限切れになり、多くの家族が住宅ローンを返済し続けることができなくなるだろう。このことは新たな不景気の波や、ホームレスの増加、さらなる住宅価格の下落を招き、銀行と金庫は誰も買いたがらない膨大な数のマンションを抱えることになるだろう。

その結果、スペインの銀行システムは深刻な危機にある。完全崩壊を防ぐためにEUは1,000億ユーロの支援を余儀なくされたが、この膨大な額もスペインの銀行のバランスシートに空いたブラックホールに蓋をするには不十分だろう。誰も銀行の悪しき負債の本当の規模を知らない。1,500億?2,500億?言うことは不可能である。しかし1,000億ユーロのローンが始まりに過ぎないのは明らかである。

これは状況に応じて反応してきた市場にとっては明らかである。誰も高い利子を受け取らない限り、スペインの負債を買いたがらないだろう。税率はすでに7%に達している。このような破滅的な数値を長期間維持するのは不可能である。

新しい国民党(PP)政権による大規模な緊縮財政および歳出の抑制という政策が公表される前からですら、私たちはすでにストライキと地方や部門の動きの波を次々に見ていた。マドリードの教育部門、カタルーニャとバレンシアの公務員、バレンシアの学生運動、全国規模の教育部門の運動などである。2011年の5月、6月、そして10月に大規模なデモを起こしたれ怒れる者たち(indignados)の運動は、この怒りの高まりの反映でもあり、労働者階級の中での全体的な雰囲気を変えた。

スペインはギリシアと同じ道を辿っており、結果は似たようなものになるが、その規模は遥かに大きなものとなるだろう。ラホイ政権は危機の政権である。その選挙基盤は早々と小さくなっている。スペイン社会労働者党(PSOE)の指導者たちが全国レベルでの統一へと押しやられたことで、主な受益者は共産党の周りで著しくその得票を伸ばしてきた左派連合−スペイン社会労働者党の左側に位置する−であった。全国の意識調査によると、左派連合の票数は2011年11月の段階では6.9%だったが、現在は11.6%である。

このことは私たちがギリシアとフランスで見てきた左寄りへの傾向を裏付けている。資本家の真剣な戦略はすでに公的消費の大規模な削減という革命的な仄めかしを警告している。ウォルフガング・ミュンショウは「ファイナンシャル・タイムズ」紙で“スペインは不可能なミッションを引き受けた”と題した記事を書き、その中で厳しい言葉で示している。

       「赤字削減におけるスペインの努力は採算が取れないばかりか物理的に不可能なので、他のものを与えなければならないだろう。スペインが目標を失うか、スペイン政府があまりにも多くの看護士や教師を解雇することで政治的暴動を引き起こすことになるかだろう。」(「ファイナンシャル・タイム」紙、4月15日付、筆者による斜線強調)

イタリア

イタリア資本主義が直面している状況はスペインより酷いものですらあるが、EUの援助により負債の資本を少なくとも部分的に再構成した。しかし、負債額の水準は未だにより高い。このことは何年もの間の問題だったが、今や状況は重大な事態となった。

イタリアの負債は過去のGDPの120%に達したが、未だ深刻な問題を引き起こしてはいない。常にイタリアの輸出が競争を可能にするアドバンテージを得るために、リラを切り下げてきたからだ。部分的に、イタリアのブルジョワジーは高額の負債を保つことで社会的安定を買った。常に国際市場でイタリアの負債の購入者を見つけることができたのである。しかし全ては変わってしまった。

ユーロの出現はその出口を塞いでしまった。イタリアはドイツに対する競争力を失い、問題は中国という競争相手によって深刻化した。イタリア経済は長期にわたって停滞してきた。成長の不足は市場の信用崩壊を招き、イタリアが公債所有者に支払わなければならない利子の急な上昇に至らしめた。

もしも私たちが利子の返済を考慮に入れなければ、イタリアは本来黒字である。プロディの“左派”政権のもとで、イタリアは実際に負債を返済し始めた。しかし6〜7%でさえある税率によって、負債という重荷は堪え難いものとなった。10年間の不景気の後では、イタリアに1.9兆ユーロという負債のための財源を確保するだけの余裕はない。彼らは今、誰も買いたがらない公債を売ることの難しさに気付きつつある。

通貨切り下げという道が閉ざされて以来、唯一の代案は生活水準への全面攻撃を仕掛けるということである。数年前、さらに危機が始まる前、「エコノミスト」紙はイタリアが国際競争力を回復するためには50万人の労働者を解雇し、残った労働者は賃金の30%削減を受け入れなければならなくなるだろうと明言していた。これが“内部通貨切り下げ”と呼ばれるものの本当の意味するところなのである。それはイタリアのブルジョワジーの本当の計画なのである。

イタリアの事例はヨーロッパのブルジョワジーの中心的な問題を強調している。すなわち労働者階級の強さである。何十年もの間、ヨーロッパの労働者たちは一定の生活水準に慣れてきた。彼らは少なくとも半文明開化した存在の条件に打ち勝ってきた。今は支配者階級は改革と過去の容認を撤回することは困難だと見ている。

問題なのは、イタリアのブルジョワジーにはこの計画を実行するための強い政党と安定した政府が欠けているということだ。ベルルスコーニは必要なことを実行するのに失敗した。プロディの“左派”政権はもっと先へ行ったが、試みに失敗して破滅した。モンティの“国家統一”政府はわずか数ヶ月後には崩壊を後押ししていた。全てはイタリアの労働者階級の抵抗のために倒壊した。

道はイタリアでの階級闘争の急増に開かれている。このことはイタリアのマルクス主義者たちに大きな機会を与えることになるだろう。

ギリシア

急進左派連合政府の見通しは、イタリアおよび他国のブルジョワジーにパニックの波を引き起こした。彼らは急進左派連合から人々を駆逐するための大規模なキャンペーンが組織され、急進左派連合が権力を握れば経済的な大惨事が起きると警告した。そのことは中流階級の多数の人々や年配者、後進層が慌てて新民主主義党に投票するには充分であった。

しかしながら、選挙の結果は何も解決してくれなかった。経済問題は以前のままである。とても脆くて一時的な平穏があるという状況だが、それは長くは続かないだろう。多くの人々の間にある雰囲気は選挙以前と動揺に懐疑的で、悲観的である。新民主主義党に投票した人々の間ですらも、サマラスが何かを成し遂げると信じている人はほとんどいない。このことは、ギリシア国民の生活水準への更なる連続攻撃を仕掛ける強固な基礎とはならないのだ!

三年間続いた戦いと大変動の後、ギリシアの大衆の間には疲労という要素もあるに違いない。活動の一時的衰退があるかもしれない。しかし、次の節目における新たな大変動を避けることはできない。実際に、ツィプラスは選挙に勝たないという幸運に恵まれた。急進左派連合政府は即座にブルジョワジーと大衆からの巨大な圧力に苦しむこととなっただろう。だが今、サマラスが資本主義という土台の上では解決できない危機を解決しなければいけないだろう。

新民主主義党への選挙での支持は減じるだろう。反対に、急進左派連合への支持は増えるだろう。このことはすでに起こり始めている。地域の急進左派連合支持者を見つけ、自分たちで組織しようとしている人々の報告が沢山ある。彼らは特に進歩的な闘士たちであるが、特に失業者や学生のような何千人もの若者を含んでいる。

しかしながら、急進左派連合そのものはまだ空の容器である。幹部の多くは、改革主義の官僚や自らの出身の党の最悪な伝統を持ち出した以前のスターリン主義者、そして昔のユーロコミュニズムの改革主義的懐疑論者である。問題は構成員を組織するための真摯な努力をせずにその数を増やすことが唯一の経験である書記官たちが殺到したことで悪化した。本物の共産党を作り上げるためには深刻な障害物がある。しかし党はいずれにせよ作られるだろうし、大衆はこれらの問題をどう克服していくかが分かるようになるだろう。

急進左派連合内部には異なる傾向がある。左派と同様に、右派もいる。ツィプラス自身は左派の立場なのだが、彼の計画は混乱している。そしてこのような状況において、混乱はとても深刻なことである。

決定的な要素は急進左派連合内部でのギリシアのマルクス主義者たちの働きである。比較的弱い基礎から出発し、彼らは成長を始め、運動の中に太く根付き始めている。いつもそうであるように、党の仕事を独立した革命運動と結びつけることが必要である。急進左派連合が選挙に勝たなかったという事実は好都合であった。私たちが兵力を組織するのに必要な時間を与えてくれたのだから。私たちは急進左派連合の確立に積極的に参加する一方で、同時に近所や学校、大学、そして労働組合での政治活動や宣伝を指導するべきだ。

この前の選挙で、急進左派連合は18歳〜24歳の若年層の52%の支持を得た。これはとても重要な事実である。私たちは今、この層に集中しなければならない。1917年、メンシェヴィキがボリシェヴィキを“子どもの政党”であると非難したが、そのことは大いに真実であった。ボリシェヴィキ党の構成員はとても若かった。メンシェヴィキ等は年配の労働組合者たちであり、改革改革主義に傾いていた。

私たちのスローガンは以下のものだ。急進左派連合の中で組織せよ!革命的な急進左派連合のために!急進左派連合の革命的マルクス主義者を確立せよ!この基礎のもとに、私たちは最良の構成員を入れ、戦いを一貫したマルクス主義者の方針へと導くつもりだ。最初のステップは11月に行われる予定の設立会議での私たちの計画に備えて戦い、9月と10月に新しい共産党を設立するために組織される集会に精力的に参加することである。

私たちは、中心となる狙いが丸く主主義という傾向を強くすることだという事実を見失ってはいけない。もちろん、私たちは党の忠実な構成員となり、最良で最も活発な構成員となり、選挙において働き、新しい構成員を入れ、支部を作るだろう。私たちが求めていることの全ては、私たちの思想を前進させるという権利である。私たちには、マルクス主義という考えと計画が優れているという確信があり。そして何年にもわたって、経験という基礎の上に、私たちはやがて多数派となることができるという確信がある。

体制の危機

トロツキーは、大衆の中での革命の意識を作り出すという状況における変化は突然かつ不意のものであると説明した。危機はあらゆるところで、大衆に無関心を捨てさせている。社会には成長しつつある動乱がある。批判的な意向が発展しつつあり、体制への疑問は、以前は問題ではなかった。

現在の危機は、大衆の目の前に現在の社会と制度のあらゆる腐敗を急速にさらけ出している。現状という一枚一枚の層ごとが、世論という法廷に召喚され、有罪となっている。銀行家、政治家、首相、大統領、新聞王、そして司教といったような。尊敬され崇められていた人が見下され、嫌われているのである。

大衆は危機の打開策を探している。政治的不安定性は、“世論”の、つまり主に小ブルジョワの、左右への猛烈な揺れによって表すことができる。改革主義の失敗は労働者階級の失望を招き、それは選挙での棄権に現れる。しかし、現状ではそのような雰囲気は長続きしないだろう。あらゆる可能な組み合わせは試され、失敗した。資本主義という基礎の上では、袋小路から抜け出す方法はないからだ。したがって、長期にわたって、政治家、政党、プログラムやアイデアが試されている。大衆は徐々にうわべだけの約束の背後にあるものを学ぶのである。

懐疑的な雰囲気は強まり始め、議会政治と政治一般の上に疑問符をつけている。しかし、ヨーロッパでは議会政治への幻想が深く根付いている。大衆は簡単に自分たちが属している組織を手放さないだろう。しかし、これらの組織の一人一人が試されるだろう。ギリシアの急進左派連合やドイツの左翼党、フランスの左翼党のような旧体制から出て新たな政治的組織の隆盛をともなった完全なる一連の危機、動乱、そして破綻が起こるだろう。我々は注意深くこのような動きに従わなければならないし、労働者階級の中で最も闘志にあふれた層や若者の所までに到達するために精力的に介入するように備えなければならない。

次の時期は、私たちが既にギリシアやフランスで見てきたように、左派と右派への急な分裂を見ることとなるだろう。何度も説明して来た理由から、近い将来にヨーロッパでファシスト的な、あるいはナポレオン的な反応が起こる可能性はない。しかしながら、黄金の夜明け党の台頭は、労働者階級がギリシアで権力を握ることに失敗した場合に予期されることの警告である。近い将来に、ブルジョアジーは、ブルジョワ民主主義というメカニズムを通して無理矢理支配される。現実には、彼らは労働組合と左派政党のトップに支えられるべきなのだ。

しかしながら、危機が深刻になれば成る程、ブルジョワジーはストライキやデモ、混乱状態があまりにもありすぎると決めつけるだろう。そうすれば、秩序に訴えるだろう。1970年代のグラディオ作戦のような陰謀と共謀が企てられるだろう。しかしナポレオン的反応への疑問が主張されるよりも随分前から、労働者階級は権力を握るための多くの機会を持って来ただろう。切り札での尚早な企ては、例えばギリシアにおけるように、革命的な急増を導く猛烈な反抗を引き起こすだろう。

危機が偏在的に広がっていることは事実である。常にそうである。ギリシア、アイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアのような最も弱い資本主義国家において速くかつ猛烈に広り、一方でドイツやオーストリアは立ち後れ、イギリスがそれらの国々の間のどこかにいる。しかし全ての国は次々と危機に引きずり込まれるだろう。

至る所で私たちは過去の重荷を見る。それは大衆の良心の上に山のようにのしかかり、特に大衆の組織の指揮において顕著である。労働組合の改革派のリーダーたちと左派政党は過去に住んでいる。しかし組合代表員と労働組合の活動家たちの思考さえも、過去の敗北によって曇っている。懐疑論と悲観主義に感染しているのである。

左派政党の活発な層においてはさらにそうである。彼らはスターリン主義と過去の改革主義による間違った教育を受け、労働者階級を信頼していない。この層を蘇らせるためには大きな出来事が必要だろう。多くは完全に政治から離脱し、過去の重荷を背負っていない新しい世代がそれに取って代わるだろう。

一般的に、資本主義の危機は若者の肩に一番重くのしかかる。スペインでは若者の半分が非雇用者だ。イギリスでは、キャメロンは25歳以下から住宅手当を取り上げたがっている。若者の階層から、最良の闘士がやって来るだろう。彼らは労働組合と左派政党に、政治を変えるという意味で引きつけられるだろう。これこそが私たちが基礎としなければならないことだ。レーニンの言葉でだと、若さを持っている彼らは未来を持っている、ということだ。

出口はない

支配者階級の唯一の狙いは銀行を救うことだと考えている人がいるが、それはあまりにも単純である。資本主義者階級の様々な部門の間に矛盾があり、銀行家は一つの部門しか代表していない。イギリスでは製造業が破壊されたことにより、金融資本の占める割合が高い。しかしイギリスでさえも、保守党・自由民主党連合は、最近の金利の不正操作問題以降後、バークレイズ銀行とロイヤルバンク・オブ・スコットランド(RBS)の業務を調査し、銀行に圧力をかけることを余儀なくされた。キャメロンはバークレイズ銀行のヘッドの辞任を要求する一方で、臆病な労働党の党首ミリバンドは彼を刑務所に入れたがっている。

スペインにおいては、バンキアの株式はその価値が国家によって“保証されている”にもかかわらず、本来の価値の80%〜90%を失い、政府は右派の国民党の手中にあった。

あらゆる側面に私たちは解決できない矛盾を見出す。需要はユーロ債のために上がっている。しかし誰かがこれらの仮想の債券を引き受けなければならないだろう。誰になるだろう?なぜだ、もちろん、ドイツだ!債務国がユーロ債の設立を提案するときに、「私の任期中にはしません」と答えるのだ。

ドイツの財務大臣は、ギリシアが第二次世界大戦後のマーシャルプランからドイツよりも多くの金を受け取ったと言う。このことは嘘である。1948年以降、ドイツは戦前および戦中に蓄積された膨大な借金を完済するために、アメリカからそれよりも遥かに多くの額を受け取っているのだ。その通りだ。だがそれは、アメリカがフォートノックスにある世界の3分の2にあたる金を所有しており。資本主義世界の経済が驚異的な上向き状態にある時のことだった。

現在の情勢はどうだろうか?世界経済は歴史上最も深刻な危機にある。アメリカは内部・外部双方において莫大な赤字を抱えている。世界最大の債権国は、世界最大の債務国の一つになったのである。そしてドイツに関しては、スペインとイタリアを救済するための充分な資金が連邦銀行にない。イタリアの債務のみでも、ほぼ3兆ユーロだ。

ドイツは払いたがらないが、だからといって簡単にユーロを崩壊させることはできない。一方で、ドイツ(とアメリカ)の銀行はギリシア、スペイン、そしてイタリアの負債の大部分を所持している。その一方で、ドイツは自国の商品をユーロ圏へ輸出しているのだ。

ユーロ債への度重なる求めに対し、メルケルは次のように答える。「あなた方が求めていることには一理ありますが、私たちは全ての債務は国会に提出される前にEU(つまりはドイツ)の合意が必要だと主張しています。さらに私たちは、EU(つまりはドイツ)にはあなた方の予算に干渉し、容認できない支出を拒否するというような権利があることを求めているのです」つまりは「あなた方が自分の国の主権を引き渡すことに合意しないと、ドイツはあなた方の借金を引き受けることには同意しません」ということだ。

皮肉と傲慢さが混じった驚くべき調子でキャメロンは言う。「ユーロ[とイギリスの利益]をまもるためにはユーロ圏というより緊密な連合がなければならないということには同意する。しかし、我々イギリス人はそれに参加するつもりはないし、あなたを助けるために1ペニーも払うつもりはない」しかし、キャメロンが言っている、もしくはしていることは今日のヨーロッパにとってほとんど重要ではない。

フランス、イタリア、スペインがメルケルとドイツ連邦銀行を喜ばせるために自らの独立を引き渡すということはまずありえない。たとえオランド、ラホイ、モンティがそれに同意したとしても、国会の承認を得なければならず、それには何年もの時間がかかり、終わることのない論争を引き起こすことになるだろう。しかしながら、ユーロ危機は現在起こっており、市場は議会制民主主義という厄介な仕組みが議論に終止符を打つまで待つことはできないだろう。

市場や投資家は苛立ってきている。ギリシアやスペインの銀行での“スローモーション”な走りとしか言い表せないようなものがあった。このことは未来が持つものを見せてくれる。ヨーロッパの銀行は底知れない割れ目の縁でバランスを取っている。遅かれ早かれ、1931年5月に倒産したウィーンの信用再生機構で起こったように、大きな銀行が倒産するだろう。このような出来事はヨーロッパ全体の銀行危機と深刻な停滞の引き金となる可能性があり、それは世界経済全体にとっての最も深刻な影響となるだろう。

改革主義者たちのユートピア的理想主義

改革主義者には危機の解決策はない。彼らは資本主義という仕組みを受け入れてきた。その盲目さの中で、歳出の抑制政策が無知や“空論的な動機”の産物であると信じているのだ。格付会社を非難しようとした者もいる。これは熱を測る体温計を非難するようなものである。体温計を壊しても、熱は下がらないだろう。格付会社を禁止しても、市場は以前と同様に動き続けるだろう。そして資本主義の下では、ブルジョワが彼らの金を危険で採算の取れない市場から出して、より安全なで有益な市場に移すのをやめさせる法律を制定することができようか?

“金持ちに課税を”といったようなスローガンは煽動としては前向きな影響を持つこともあるが、科学的な中身が欠けている。オランドは高所得者税を75%に引き上げることを提案している。疑問の余地なく、このことで彼は票を獲得したのだが、それを実践しようとすれば即座にフランスからスイス、それにイギリスへの資本の大規模な流出を引き起こすだろう。イギリスではキャメロンがそれを両手を広げて歓迎すると言っている(このことはパリとロンドン間の関係を進歩させるための何にもならなかった)。

改革主義(特に左派)の問題は、市場を無視することなく干渉することによって、資本主義にとって正常に機能しなくなるようにしているということだ。フランスの場合、オランドが彼の計画を実行すれば資本家の大規模なストライキに遭い、軌道修正を余儀なくされるだろう。これは過去にミッテランに起こったことである。しかし状況は1981年よりもさらに悪く、オランドはより速く、突然に方向転換をするだろう。これによって左翼党が勢力を伸ばし、社会党の人々が沸き上がり、労働者階級の急増を引き起こすだろう。

何が問題なのだろう?労働者階級は、大胆な招集が行われたときに行動でもって応えるのを厭わないと示してきた。しかし、指導者は労働者階級に、または自分自身を信頼していないのだ。最も優れた左派勢力でさえも、完全にその道を行くには消極的である。彼らは常に支配者階級との直接争うのを避けられるような“賢い”解決策を探している。しかし、そのような対決なしに逃れる方法はありえず、これらの“賢い”スローガンはさらにひどい危機を引き起こすだけだろう。

ツィプラスは左派というイメージの投影と財政緊縮財政への反対によって、非常に人気となった。しかし、彼の計画は完全なる夢物語だ。彼はブリュッセルとベルリンによって決定される条件を拒みながら、ギリシアがユーロ圏に留まることを望んでいる。ギリシア共産党の指導者たちはギリシャの通貨をドラクマに戻したがっている。しかし最初の選択肢はEUのブルジョワジーの指導者によって拒まれ、一方で第二の選択肢は経済崩壊のための完成されたレシピである。実際には、ギリシアの大衆にとっての解決策はユーロの内部にも外部にもない。何かを議論することは労働者階級を欺くことなのだ。

資本主義の中に留まりながら、借金を支払うことを拒否するのが解決策であるという考え方は、急進的小ブルジョアの夢物語のような考えの典型だ。このスローガンが銀行家と資本家の財産差し押さえにつながらない限り、経済の崩壊につながるだろう。このことは、ツィプラスの計画の限定的性質を見せつけている。彼はギリシャがドイツとフランスの銀行家への債務の支払いを回避しても、まだユーロ圏に留まることができると信じているようだ。これは究極の夢物語である。ギリシャはすぐにユーロ圏のみならず、EUからも外れるだろう。

唯一の正しい過渡期のスローガンは、補償なしでの銀行の国有化のためのものだ。これらの寄生虫はすでに公的資金を持ちすぎていた。銀行家には1ペニーも、1セントもない!銀行や保険会社を国有化することによってのみ、それは合理的な計画経済へと向かうことが可能となるのだ。

金融資本の押収は、社会が直面する問題を解決するための多くの機会を提供するだろう。しかし、銀行の国有化は、それ自体では不十分である。全体の銀行システムが国有化されても、それは資本主義の無政府状態の終わりではないだろう。民主主義の労働者の支配・管理のもとで経済を支配している巨大独占企業を国有化することが必要だ。経済の“コマンディング・ハイツ(管制高地)”は国家の手になければならず、そして国家は労働者階級の手にある。そうしてのみ、合理的かつ調和のとれた形で生産力を計画することが可能となる。

私たちはギリシアの労働者階級に真実を言わなければならない。選択肢は一つしかないのだ、権力を手にし、そうしてヨーロッパの労働者たちがそのあとに続くように訴えかけるということしか。銀行家と資本家のヨーロッパを叩き潰せ!ヨーロッパ社会主義合衆国のために!それが私たちのスローガンだ。ギリシャの労働者が彼らの手に権力を持てば、その効果はスペイン、イタリア、ポルトガル、フランスに始まり、全てのヨーロッパの労働者へ電気のように効果を発揮するだろう。少なくとも1917年のロシア革命のような大きなインパクトとなるだろう。状況全体が変わるだろう。

労働者階級の利益に基づいてどのように社会を再編するかということに関する私たちの社会主義計画を示すのと同時に、私たちは基本定款やEUによって課されたあらゆる財政緊縮財政政策、解雇された労働者の復職、私有化された者の再国有化、賃金・年金額の引き下げといったような労働者を守るために取られる必要のある速急な対策に関する宣伝活動を行うという主要な仕事を辞めるべきではない。これは組織化・動員の狙いを伴っている。この過程で、私たちは若者と労働者の中から最も優れた闘士を募るつもりだ。

ギリシャ、スペイン、ポルトガル、アイルランド、イタリアなどの国では、赤字予算と国債は支配者階級が大規模な緊縮財政・歳出の抑制を実行する際の重要な問題となってきている。私たちは国家債務についた利子の支払いの即刻停止と債務支払いの完全なる拒絶を要求している(監査に関する改革派のスローガンとは対照的だ)。これによって、どのように政府が支出を賄うのかという疑問が速やかに生じるだろう。「銀行業および保険の分野全体を補償なしに収用し、それらを経済の計画に使われることになる一つの国営銀行に集約することによって」、と私たちは答えるだろう。

生産、分配、交換手段の国有化によって、資本主義という無政府状態によって価値をなくされているこれらの力が用いることが可能になるだろう。スペインでは銀行と金庫は銀行は何千ものを空き物件を所有している。同時に、ホームレスの数が増え続けている。私たちは、空き物件がホームレスに引き渡されることように求めている。

何百万人もの失業者(EU全体で11%)がいて、満たされるべき社会的ニーズがたくさんある。賃金を引き下げることなく週35時間労働を即時に導入することで、私たちは社会のニーズを満たすために、住宅、学校、道路や病院をつくるために何百万人もの失業者を動員することが可能となるだろう。

しかしながら、一時的な需要に関しては何も不思議なことはなく、トロツキーが言うように不十分である。

       「もちろんスライド制と労働者の自衛では不十分だ。これらは労働者を飢餓とファシストの刃から守るために必要な最初のステップにしか過ぎない。自衛という意味では緊急を要し、必要でもある。だがそのものによって問題が解決することはないだろう。主な課題は、より良い経済システムおよび全ての人々の利益のためにの公正で、理性的かつ相応しい方法での生産手段の使用という道を舗装することなのだ。

       「労働組合の普段の、“通常の”方法では達成されないだろう。孤立して衰える資本主義の組合の状況が、労働者の状況のさらなる悪化を止めることができないという理由から、あなたはこのことに反対できない。より決定的かつ根本的な方法が必要だ。生産手段を所有し、国家権力を持っているブルジョワジーは、経済全体に全くもって絶望的な混乱をもたらしてきた。ブルジョアジーの破産を宣言し、経済を新しくて正直な手の中に、つまり、労働者自身の手の中に移動させることが必要なのだ。」(全米労働組合(CIO)の創立者との討論、1938年付、筆者による斜線強調)

トロツキーのこれらの言葉は、移行期のスローガンの本質を表している。社会主義革命への道を唯一の方法として示しているということである。危機の深刻さは既にギリシアのような国でたくさんの人々が−先進的な労働者と若者だけではない−革命的な結論を描いている程である。私たちは先進的な労働者や若者に権力を手に入れるための労働者階級の必要性を充分に認識させなければならない。

全てを失った人々に根本的な変化が必要だということを説明することはほとんど必要ない。部分的な解決や“賢い”スローガンではなく、現在の体制を完全にひっくり返すことが必要なのだ。マルクス主義という団体をできる限り早く作り上げ、組織的で精力的な働きを通じて労働者や若者をマルクス主義に引き入れるということが必要とされているのだ。